戦略的社畜の研究

社畜は本当に悪なのか?

「社畜」という愛称で知られる人がいます

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「社畜」というと、明らかにネガティブワードですが、私の知人であるMさんは「社畜」が愛称になっています。念のため断っておくと、あくまでも愛称、愛のある呼称であり、揶揄ではありません。

 

現にMさんは、あるコミュニティ内では「社畜さん」という呼ばれ方が定着しており、飲みの席でMさんが立ち上がって一言述べようものなら「しゃーちく! しゃーちく!」と社畜コールで大盛り上がりです。重ねて断っておくと、あくまでも愛称、愛のある呼称であり、揶揄ではありません。大事なことなので2回言いました。

 

Mさんにとって「社畜」はネガティブワードではなく、ポジティブワードなんですね。表向きは「脱社畜」を掲げていますが、脱するよりも、「社畜」自体をたのしんでしまえ、うまく使ってしまえ、という心意気です。

 

Let's enjoy! Syachiku!(社畜は英語でcorporate slaveという類語があるそうな)

 

社畜を明るく語るMさんは輝いていました。(多分)

 

私は現在30歳ですが、20代の頃は、仕事しますか? それとも人間やめますか? みたいな状況(※個人の感想です)が普通でした。ただ、今思えば、いい体験だったと思える面も多々あります。「量が質に転化する」と言われますが、よい仕事をするためなら、若手社員はとりあえず働きまくるのも手です。「守破離」で言うところの「守」。「仕事の型」を身体で覚える段階ですね。

 

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。Wikipediaより)

 

ただ、若手社員の中には、自分が「守」の段階であるという認識が見えていなかったり、いきなり「破」(型を破る)段階にジャンプしようとしたりする人が見られます。それで結果的に退職してしまうケースもあると思いますが、守破離のような考え方がないと、結局転職先でも似たようなことを繰り返してしまいます。

 

Mさんはやさしいので、そういう若手社員を見ていられません。私も共感するところがありました。はい。今これを書いているのが午前2時で、そろそろ眠くなってきました。ゆえに急な展開をしますが、私はその"社畜"Mさんと、これはまた似た考えをお持ちのKさんとで、「戦略的社畜(社畜という立場を有効に活用する)」を一緒に考えています。

 

社畜を積極的に推奨するつもりはありませんが、どうせ社畜なら、社畜という立場をうまくとらえて活用しないかね、君、というのが本ブログの提案です。そう、これを書きたかったんです。

 

そもそも「社畜」って何? という話しもあるわけですが(まぁ定義などないのですが)、今回はこんなところで。ちなみに守破離「社畜道」については、以下『社畜のススメ』が元ネタで、我々は勝手にバイブルと位置づけています。

 

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